-彼は地域問題と言論問題の裏に、より大きく本質的な問題があるということは夢にも思わず、ひたすら自らが設定した二つの問題(*地域問題・言論問題)とばかり衝突し続けた。しかし、だとしても、彼が新自由主義をあれほどまでに抵抗なく受け入れることさえしなければ、彼の戦いは民主化した時代に戦いの戦線を新たに広めたとして、肯定的な評価を受けることができたはずだ。しかし、彼は表面の敵を戦いつつも、真に戦うべき本質的な敵には投降してしまった。これこそが彼の不幸であり、時代の悲劇だった。
ノムヒョンとサムスンの個人的関係がどうであったか、彼が釜山商業高校時代の先輩だったサムスン構造調整本部のイハクス本部長(*当時)から、いつからどのような後援を受けたか、そして大統領選挙の過程でどれほどの政治資金をサムスンから受け取ったか、そのようなことについて私たちは私知る由がなく、知りたくもない。それは重要なことかも、些細なこともかもしれない。 しかし真実がどうであれ、彼がサムスン電子ジンデジェ社長を情報通信部長官に任命し、<中央日報>ホンソクヒョン会長を駐米大使に任命したことは誰もが知っている事実だ。この事実はノムヒョンが<朝鮮日報>と違ってサムスンについては全く問題意識を持ち合わせていなかったことを物語っている。<朝鮮日報>にエサを与える者がサムスンだが、ノムヒョンは<朝鮮日報>に対しては妥協せず戦いながらも、背後で陣取っているサムスンに対しては何の問題意識も持たなかった。これこそが彼の限界であり、私たちの不幸だった。 彼は表面的に表れる世論の歪曲、検察のような権力機関の腐敗と権力の濫用については鋭敏な感受性を持っていたが、資本主義経済体制と、それが極端化した新自由主義的市場経済については何の問題意識も示さなかった。就任初期から韓国を東北亜の金融ハブにするといい、一貫して新自由主義政策を推し進めた彼は、最後に韓米自由貿易協定(FTA)を押し付けて青瓦台を去った。 その間、金持ちはより金持ちになり、貧しい人々はさらに貧しくなった。正常な社会であれば2000年にサムスン自動車が天文学的な損失を出して破産したとき、デウのキムウジュン会長のように没落していたはずのサムスンのイゴニ会長が、逆に最高の金持ちになり、ほとんどの国民は非正規職に転落していった。彼自身の責任がないとは言えないこの状況の前で彼がやったことといえば、まるで占領軍の前で投降した将軍のように、「もはや権力は青瓦台から市場へと明け渡された」と認めたことだった。 しかし、私たちの時代の不幸は、彼の言葉のように権力が市場へ明け渡されたという事実そのものにあるわけではない。より深刻な不幸は、私たちがあの言葉の意味と深刻性をまともに理解できずにいることと、ノムヒョンがそうであったように、私たちもまた新たな権力に抵抗なく投降してしまったという事実にある。 ―「グッドバイ・サムスン」試し読みで読める部分からの転載 独裁でもファショでもない、李明博の民主主義 盧武鉉政府が実用政府だった 盧武鉉インタビュー(2008年)
by no_moyan
| 2010-11-06 08:26
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