朴露子氏のブログから (2007年8月20日)
8月16日から18日まで、3日間ロンドンで開かれた国際高麗学会の会議に参席した。北韓支部が存在するこの学会には多数の北韓学者たちも参席する。今回も約15名の北韓の方々が参席したが、そのおかげか学会が多少'外交的'な出会いの色を帯びるようになった。北韓の学者の方々と対話と論争をしてみたりもし、彼らが発表する分科で司会も勤めてみると感情がとても複雑だ。 一方では'出会い'そのものに意味を見出し希望を探したいとは思う。韓半島で暴力の種を除去するためには持続的な'出会い'のほかに方法がない。また互いを認め知るということは、それだけで私たちの現代史の脈絡の中で大きな意味を持つ。南北両方があまりにも長い間、互いを他者化してきたからだ。また、個人的な立場から見ると北韓学者たちの相当な数がソ連留学派出身の人々であり私の師匠の方々とも知り合いなので、いうなれば'旧知でない旧知'とも考えられる。北‐ソ'血盟'は破れて長いが、その方々は相変わらずロシア語を忘れないでいてロシア側との学術交流を熱心にしようとしていた。資本化したロシアという'市場'で彼らが持つ'購買力'の制限性のせいで上手くいかない部分があるようだったが、とにかく彼らが学術交流の場で'合理的なパートナー'になり得るということは確かなことだ。 ところでこのような希望の一方で絶望はまた絶望なりに顔を出した。その方々の発表のせいで'絶望'を感じたとはいえない。このような学会で行われる発表が本人の考えだけで行われることではないことは知っている。どうやら'政治的行為'の側面が存在するしかないため、度々ある程度'国家的宣言'の意味で機能することもある。たとえば北韓で「バルヘ(渤海)は私たち民億の立派な主権国家だった」と宣言したり「私たちの国の情報技術は跳躍的に発展している」と主張するなら学者の私としてはこれをそのまま信じたり受け入れられないが、(バルヘの種族的構成はとても複雑で、当時は'民族'と'主権'の概念がなかった。北韓で'光明網'ではない国際的インターネットの利用者数は約1500名と推参されるため'跳躍的発展'という言葉は適切でない節がある。)このような宣言を朗読した北韓学者の方々を責めていてもしょうがない。朗読を拒否する位置にいるわけでもないし、朗読と別の考えを抱いているかもしれないからだ。 絶望に近い失望を感じたところは、ほかの発表の数々に対するコメントのような、'個人の考え'の一面を見せてくれる一連の'固体化した発火'からだった。私はその方々の'固体化した話'から南韓の'王党派'史学者たちと比べることのできる、とても強固な国家・人種本位的民族主義の濃い匂いを嗅ぐことができた。これは'国家的テキスト朗読'の次元ではなくあくまでも内面化、個人化したものだ。 今も記憶に新しいことは、北韓のある元老の方が一人の外国学者を立たせて大声で「はっきりと答えてください。バルヘ史は私たちの歴史ですか、中国の歴史ですか?」と話し'信仰告白(?)'を要求していた姿だ。とても驚いたようなその外国学者は「はい、私は詳しく存じませんが、朝鮮史の一部分として教えています」と少し迂回的に話してその場を去った。本当に、隣でこの場面を目撃した私はほとんど怒りに似た感情を感じた。もしも北韓の元老の方が私にそのような質問を投げたなら、私はたぶん「今日のような'私たち'の概念は近代史の産物です。この概念を古代史、中世史に投影することはマルクス主義的歴史主義の原則に背く行為ではありませんか?バルヘ史はあくまでも複雑多端な遺産を持っていたバルヘ人たちのものであって必ずしも'私たち'がこれをこのおような方式で専有すべきでしょうか?」と答えたはずだ。その方がこのような答えをお聞きになったなら果たして反応はどんなものだったろうか。その次の対話は可能であったろうか? 問題はまさにここにある。私は米帝国主義をとても嫌うマルクス主義者であり、その何とか'反北主義'に濡れたことのない、その上に北韓の方々と系統的に多くのものを共有する人だ。しかしまさにそのマルクス主義に従う以上、その方々の'民族本位主義'とどこからか必ずぶつかることになる。私にマルクス主義がかなり内面化したように、その方々には'私たちの民族の悠久な歴史、ダン(唐)国の登州を732年に成功裏に攻めた軍事大国バルヘに対する誇り'がしっかり内面化しているため私たちが互いに'他社'それ以上になることはどうやら少し難しそうだ。'国家'を離れて'朗読'ではない'個人と個人'として出会いを持つとしてもだ。 外面的な'統一'だけでなく南韓と北韓の間の心の疎通、内面の疎通を望む立場でこの文章を読む方々にお聞きしたい。「労働者たちにはいかなる祖国もない(Die Arbeiter haben kein Vaterland)」という『共産党宣言』を今も信じる人は、果たして「祖国がない者は労働者でも人でもない」ということを心から信じておられる方々との'統一事業'にどんな内面的姿勢で臨むべきだろうか?この矛盾を克服、止揚する道はないだろうか?正直にいって'なさそうだ'という絶望を感じている。北韓の労働階級と直接疎通できれば話が違うかもしれないが、一方では北韓の労働者たちも支配的な国家主義的イデオロギーに深く包摂されているのではないかという心配が生じるからだ。
by no_moyan
| 2008-08-23 20:15
|
ファン申請 |
||