(2011.11.23)昨日、韓米FTA批准案が引ったくり通過されました。市民たちが全教組のような進歩的(?)な教育団体に望むのは、キャンドル集会に参加願うのではなく「これはどういう状況であり、どうすればいいのか」に関する合理的な教えのはずです。なのに全教組は声明書も出して折らず、論評一つ書いていません。なので前職・全教組副代弁人の私が代わりに書きます。チョン・ボンジュ元議員、キム・ヨンミン元教授…最近は前職が現職より頑張るのがトレンドのようです。
(以下・論評) 11月22日午後、韓米FTA批准案が引ったくり通過された。乙巳勒約、韓日協定以降、外国との条約としては歴代で三度目の引ったくりである。しかも前の二回は日本帝国の軍隊と戒厳令という断れない物理的圧迫などがあったが、今回はいわゆる自由で民主的な大韓民国における最初の引ったくり条約といえる。 待っていましたとばかりに新聞と放送では「国運が上向きになる」と祝砲を放ち、加担した議員たちはまるで国のために凄いことをやり遂げたかのように得意気にしている。と思いきや、街では怒った市民たちが絶叫し、警察は彼らに向けて高圧の水を放射する。しかし教育者の立場では興奮したり感情的に対応するのは禁物なので、私は落ち着いてその意味と得失を考えてみたい。 私は自由貿易と開放を支持しているということを先に明らかにしておく。民族主義者には国益を守る保護貿易がかっこよく見えるかもしれないが、私が見るに保護貿易は、結局、国家が自国の資本家たちの独占・寡占を保障してあげることに過ぎない。その被害は国内企業の製品をより良くて安い外国産があるにもかかわらず数倍の値打ちを払って購入しないといけないこの国の民衆である。したがって、私はFTAをすれば国益が傷つき、国が滅ぶなどといった主張に同意していない。もちろん、見方によってはひどい条項にも思えるが、ISDのような条項を「国を売り払う毒素条項」とは見なしていない。国際社会において、互いに約束を交わしたならその約束が最大限に守られるようにする何らかの装置を設けるのは当然のことだ。それをいうならWTOも国際司法裁判所もすべて主権侵害として拒否すべきなのである(まあ、この政府は国際連合人権委員会の勧告を主権侵害と見なしたりもしているが)。むしろISDに集中しすぎると無闇に民族感情ばかりを刺激することになり、韓米FTAの本質を有耶無耶にしてしまう。とにかく、まとめるとFTA、自由貿易が正しいのは事実であり、個別国家の主権を制約する国際的な約束履行装置が必要なのも事実である。しかし、これはあくまで自由貿易一般、FTA一般に関する話だ。今回の韓米FTAは、このような一般論から外れた、より密接な生活と政治の問題を含んでいる。 まず、今回大業をなしたと豪語するFTA賛成派の意見を聞いてみよう。彼らは、これで大韓民国の経済領土が広くなり、国益を大きく伸張させると主張する。しかし不思議なことに、反対派もまた国益損傷と声を大にして反対しているので、賛成と反対どちらも国益を掲げていることになる。しかし実は国に利益を与えるとか与えないとかいう論議自体がFTA本来の意味とは無縁なのだ。とにかく引ったくりまで敢行したところから見て、これをすぐにでもやらないと大変な損失になるとでも言いたげなので、そちらの論理を聞いてみよう。彼らの主張は大きく分けて三つだ。 1) 開放しなければ、北韓(北朝鮮)やミャンマーのように孤立し、我々はみんな物乞い同然に成り果てるしかなくなる。 2) 中国と東南アジアが猛烈に追撃してきているため、我々の経済体質を先進化(米国化)しなければならない。 3) 韓米FTAは、我々が米国に開いてあげるだけ米国も開いてくれるのでWin-Winであり、我々の経済構造の改善の原動力にもなる。 つまり開放だけが活路だという主張だが、ならいったい何をもって開放とし、何をもって閉鎖としているかを考えてみよう。それは国内企業と同種の財貨とサービスが国境を渡ってくるとき(輸入されるとき)それの競争力を落とす一切の行為をしないという意味である。この行為には大きく分けると輸入品に直接的な税金をつけて価格を上げさせるか、流通を複雑にして取り引き費用を上げてしまうなどの行為がある。前者を関税障壁、後者を非関税障壁という。 無論、北韓やミャンマーが孤立閉鎖経済を維持したことで完全に没落してしまったのは事実だ。しかしこれと韓米FTAを関連付けて考えるのは間違いである。韓国経済はすでにかなり開放化された経済なのだ。どれだけ開放されたかというと、キム・ヨンサム、キム・デジュン政府を経るにつれ、国際のホットマネーらが好き勝手に攻め込んできてマネーゲームをしてから食い逃げできるほどになっている。そんな行為を見ていながらも扉を閉めないのは、そういうイタズラをできなくすると投資もされなくなるからだ。つまり、我々は開放による利益を得ている。 身近なところだと市場に行ってみてほしい。輸入品が国産よりどれだけ安いか、そして輸入品を購入するために何か面倒でうっとうしい過程が必要かどうかを確認してみよう。アップルやhtc製品は今、SamsungやLGの製品と比べて、むしろ安く販売されている。もちろん、なんの差別もなく同じ販売台で販売されている。すでに私たちの食卓は「国産の農産物を食べましょう」という哀願が聞こえてくるほどに外国産農産物でいっぱいだ。もちろん差別なく販売されているので国産のふりをすることだってできるほどだ。韓国経済はすでに充分に開放されている。経済学の教科書も「小国開放経済」モデルを適用している。 では次に、我々の立場ではなく米国の立場から見てみよう。米国は今、十数年に渉ってとてつもない経常収支赤字を累積している。そしてその赤字の殆どは韓国・中国・日本の三国から負っている。世界経済全体レベルから見てこのような不均衡は解消されるべきである。今ヨーロッパや色んな国々がドイツに注目しているのもそのせいであり、仕方なくドイツは1000億ユーロを吐き出す法案を通過させた。今、東アジアの対米累積黒字は想像以上である。その結果、中国が3兆ドル、日本が1兆ドル、台湾が4千億、韓国、シンガポール、香港がおよそ3千億ドルずつを残して備蓄している。米国よりも東アジアにドルが多いと言ったところだ。米国が吐き出せと圧力をかけるのは当然であり、国際経済の均衡のためにもこのような不均衡は解消されてしかるべきだ。 このような不均衡は東アジアの国々が「輸出だけが活路」だと叫びながら経常収支黒字を通じてのGDP上昇を測ったためだ。貿易収支というものは誰かが黒字であれば誰かは赤字になるしかない。そして東アジアの国々の黒字の共通する赤字相手は米国である。次は米国がストップをかけるターンが回ってきているのである。しかし今のFTA賛成論者たちは、筋違いにも「輸出で活路を開かないといけない。だからFTAをしなければならない」と主張している。とても理解し難い発想である。今の韓米FTAの本題は、ズバリ言うと米国が「お前らは今まで輸出で食いつないできたから、今度は私も輸出で食べさせてもらう」ということなのである。だからこのFTAは、何がどう転んでも我々ではない米国有利に進むしかないものであり、米国の立場からすればそれは公正なことであり、実は客観的に見てもそれは公正なことなのだ。 つまり、責任感のある政府なら「これで輸出の活路が開けた」とウソをこくのではなく(米国はそもそも輸入障壁が高い国でもないのでこれ以上開くだけの輸出の道も残されていない上、わが国の最大の貿易相手は別に米国ではないのだ)、ついに「輸出だけが活路」とする経済モデルが限界を迎えたので新しい経済成長モデルを模索すべきだということを力説すべきだ。輸出主導型経済性パラダイムの終着駅の存在を認めるべきなのだ。 しかし、いくら不均衡を解消するといっても、その過程が問題なのである。米国も無理やりドルを奪っていくわけにはいかない。それは米国の輸出が増加し、輸入が減少する状況を通じて自然に調整されるべきことなのだ。もちろん、南ヨーロッパ、東ヨーロッパのようにドイツ、フランスから援助形式の金をもらって均衡を取ることも出来そうだが、米国がそれを受け入れるはずはないわけで… 問題は、米国は東アジア市長に売れそうなものをあまり多く持っていないということにある。米産の製造品は韓国産、台湾産と価格が同じかより安くても売れないはずだ。そんなによくないからだ。ヒョンデ(現代)車とフォード車が同じ価格だったときにわざわざフォード車を買う者がいるだろうか?また、アップル、デル、HPのような先端精密製品類はすでに台湾や中国で生産されているため、韓米FTAをしようがすまいが関係がない。なので米国が直接売り出せる商品、そして確実に優位を占している商品である投資金融、穀物、肉類、医療、バイオ、医薬、映画、音楽、知的財産権分野の開放を要求するしかないのだ。 ところで医療、保健分野はわが国では商品ではなく公共サービスとして運営されており、農業分野は政治的な特殊性が適用される分野であるし、投資金融はわが国だけでなく世界的にも国家の制裁が必要だと認められている分野である。米国が決死の覚悟で開こうとするその分野は、わが国の絶対譲れない公共サービスなのだ。 しかし、米国が開くことにできる分野はこれらの分野しかない。だから彼らは、国家が公共サービスで医療、保健、大衆交通、発電、水道などを運営し、巨視経済の健全性のために投資金融を規制することを「貿易外障壁」と見なし、これを解消せよと要求しているのだ。また彼らは自分たちが優位を保っている特許、エンタテインメントなどに対する知的財産権を強化し、一種の地代所得を上げてドルを回収することに踏み込んだのだ。結局、韓米FTAは貿易協定という体をなしているが、わが国の政策、法律まで貿易外障壁としてその改定を要求する内容を込めるしかなくなる。つまり、政治的な決断が要求されている。 実のところ、東アジアは今までたくさん食わせてもらった。だからこの不均衡を解消して米国にドルが流れるように均衡を合わせなければならない。80年代に日本の中曽根総理が国民に「どうか米国の製品を購買してくれ」と懇願したのは、米国のための売国ではなく日本のための愛国的行為だった。問題は、これが流れる方式と速度にある。まさにここに韓米FTAの争点が存在する。 その速度と方式は、これまでの輸出主導模型に依存する韓国経済が軟着陸を果たし、貿易収支の不均衡を利用しない健全な経済成長パラダイムを準備するだけの余裕を充分に提供すべきなのだ。そうしてこそ、その過程で生きていく民衆の生活が崩壊しない。そして米国が開放を要求する公共サービス、国民の生活の質のために、政府ができるだけ粘るべきなのだ。これは政治的な問題である。 もちろん、受け取り側の米国からすれば、一気に滝の流れのごとく自分たちのところにドルが戻ってくるのを望むはずなのだが。米国が好きなだけ掘り返していけば韓国はとてつもない侵食作用に苦しむだろうが、米国がそれを考慮しないのは当然だ。彼らだって崖っぷちに立たされてるのだから。 ところが、むしろ米国にとっての活路となるはずの状況を、まるで韓国に大変な利益をもたらすかのように真逆の宣伝をしながら、その速度を最大限にするため猛進している韓国の政治家、韓国の政府を本当に理解し難い。国益のために開放してはいけないという主張を時代錯誤的とするならば、より広い輸出の道を開くために韓米FTAをしないといけないという主張は単なるウソだからだ。しかも、経済体質を米国化(先進化)して中国の追跡を振り切るという主張は、今の米国の経済体質をちょっとでも興味を持って覗き込めば、無知なのか図々しいのか区別のつかない主張であることが誰にでも理解できる。 だから我々は、政府が韓米FTAによって変わるはずの国民の生活について考慮したのか、悩んだことがあるのかを問い詰めなければならない。今問題になっているのは国益ではない。国民の生活に波乱が起きるかどうかだ。長期的に見て大きな利益が保障されるとしても、当面の10年の間に耐え難いほど生活が苦しくなり、混乱が起きる可能性があるなら、その利益は留保されるべきなのである。しかも韓米FTAはこれまでの経済成長パラダイムと公共サービス、公共政策全般にメスを入れることが不可欠の、事実上、改憲に等しい条約だ。これを公論も作らず、何がなんだか分からないうちに、漠然と「輸出しないと食っていけない」の一点張りで通過させる国会を、民意の殿堂と認めることはできないのだ。 原文のサイト:http://hagi87.blogspot.com/2011/11/fta_23.html
by no_moyan
| 2011-11-24 15:46
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